No. 16 
「インターナショナルスクールその2」

2002年7月21日号

私は9歳から17歳までキリマンジャロ山の麓にあるインターナショナルスクールですごしました。卒業した今、学校生活を振り返ってみると、私のインターでの日々はとても充実していたと思います。学校は勉強をする場だけでなく、何十もの国々から来た人種、言語、宗教、文化、年齢の子供達が、日々ともに過ごすところでした。人種差別や紛争のある国が多い世界ですが、ここではそれは無関係。みな平等に、個性的に、自由に、そして仲良く生活してきました。アフリカでの楽しく有意義な生活の一番大事な要素、それは楽しくてカラフルな友達でした。

タンザニア人のジョーイは私の親友。彼とはほとんど同じ授業を選択していて、私を助け、励ましてくれる友であり、良きライバルでもありました。私達は音楽が好きで、よく一緒に作曲をしました。私がバンドの一員として、人前で演奏したり歌ったりするようになったのは、背中をどんと押してくれた彼のおかげです。ジョーイはおっちょこちょいなところがあり、のせられるとドンドン盛り上がっていく人。学校でミュージカルをした時も主人公の名前が自分と同じという単純な理由でオーディションを受け、エジプトの王、ファラオの役をもらいました。ファラオはソロで歌い、おまけにそれがエルビス・プレスリー風で、ミュージカルを盛り上げる重要な役。少々音痴なジョーイは不安でしょうがなかったようで、私と何回も歌の練習をしました。公演当日、彼は派手な衣装に文句をつけながらも、ものすごく緊張していて、ステージマネージャーだった私もハラハラしながら横で見ていました。しかし、歌が始まると観客は楽しそうに手拍子をうってくれて大いに盛り上がり、ジョーイは直前までの緊張とはうらはらにノリノリで、少し音痴な歌を歌い上げました。心配しながら見守っていた私も、思わず、笑ってしまいました。彼はいつでも、彼らしい方法で私を元気づけてくれる友人です。

ドイツ人のベンは私が学校に来た時からずっと一緒のクラスだった人です。インターでは親の仕事の都合で1、2年で国に帰る子供達が多く、8年間一緒だった友達は4人ぐらいしかいませんでした。彼はとにかく大きい!身長190cmを軽く越えていて、バスケットボールなどのスポーツに向いているようですが、体が少々重く、マイケルジョーダンには程遠かったです(バスケはやっていましたが)。体育でサッカーをやった時、ゴールを決めようとした私に、後ろから追いかけていたベンが突進してきたのです!彼よりはるかに低い身長の私は彼の腹にぶつかって、何メートルか先に飛ばされました。試合はそのまま続いましたが、ボールを勝ち取った(?)のに、試合を放り出してひたすら私に謝るところがベンらしかったです。彼が言うには、全速力でボールを追いかけていたので急に止まることが出来なかったそうです。そんな彼は「やさしい巨人」というあだ名を持っていました。彼は「Walking dictionary」(歩く辞書)とも呼ばれるほど物知りで、頭が良く、特に歴史や経済学が得意でした。でも注意しなければいけないこともありました。どんな質問にも丁寧に答えてくれるのですが、長〜い、専門的な説明が私たちをますます混乱させることがよくありました。彼からはシリアスなイメージを受けますが、中身もシリアスです(笑)。勉強にも、遊びにも、真剣でした。その、間の抜けた感じが私達は大好きでした。

ジョーイやベンのように、私には様々な国籍を持つ友達がいます。皆それぞれ個性的で、それだけで毎日が楽しくてたまりませんでした。個性を尊重し、受け入れてくれる環境にいられたことを嬉しく思っています。学校生活が楽しかっただけでなく、私達はタンザニアで暮らし、色々な経験をすることで強くなりました。違う考えを受け入れながら、自分の信念を強く持つようになりました。私はこの学校に入って、本当に良かったと思っています。学校を卒業した生徒達はそれぞれ、大学に入るため色々な国に旅立っていきました。世界中に散らばっている友達。またキリマンジャロで会おうと約束しています。(も)


International School Moshi, Tanzania

週刊 キリマンジャロの日曜日 
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寮に住む友人たち。楽しそうでうらやましかった。
©Moe2002